協会探訪 その⑬ 日本における歯科医療のはじまり その その2 /東京歯科保険医協会会長 早坂美都
わが国最初の歯科専門医 小幡英之助氏
今回は、「協会探訪⑫ 日本における歯科治療のはじまり その1」で触れた我が国最初の歯科専門医小幡英之助(おばたえいのすけ)氏についてです。「歯科」という独立した医療分野が日本になかった時代に、道を開いていきます。小幡氏の生涯と功績を知ると、現代の歯科治療がいかにして始まったのかが見えてきます。
◆ 明治の新しい医療制度「医制」
1874年(明治7年)明治政府は新しい医療制度「医制」を発布しました。医師としての開業許可を与える「医師開業試験」は、「医制」第37条に基づき、翌75年に東京、京都、大阪の三府において実施されました。しかし、当時はまだ医科(内科や外科など)の試験しかなく、「歯科」の試験はありませんでした。歯科に相当する専門科は「口中科」とされていました。そもそも当時は、医師・歯科医師という身分制度はなく、「医師開業試験」は一定の専門科を修めた者に対して試験を行い、合格者に開業許可を与えるというものでした。
◆ 歯科第1号 小幡英之助
小幡氏は「医師開業試験」を受験するにあたり政府に対し、「自分は医科ではなく、歯科の専門医として試験を受けたい」と願い出たとされています。「歯科の試験を作ってください」と政府に直談判をし、彼の熱意と優秀さに動かされた政府は、急きょ臨時の「歯科医師試験」を設置することになったとのことです。小幡氏は試験に合格し、1 8 7 5 年(明治8年)、日本で第1号となる歯科の開業免許(医籍第4号)を取得し「日本初の歯科医師」となりました。ここから時代が大きく変わっていくのです。
◆ 歯科の試験問題
日本初の歯科試験、どんな問題が出たか気になりますね。
小幡氏が受験した問題
1歯鍵を示してその用法を問う。
2抜去したる大臼歯を示して、その名称、左右の別及びその歯技法を問う。
3ハッチンソン氏歯に関することを問う。
記録によると、筆記試験の問いは「ハッチンソン歯とはどういうものか?」(先天性梅毒などによって、歯の形が特異に変形してしまう症状)だったそうです。
当時は現代のようなむし歯の削り方だけでなく、全身の病気がどのようにお口の中に現れるかといった、非常に高度な医学的知識が求められる試験でした。小幡氏はこれに完璧に答えて試験官を感動させたと言われています。
武士のプライドと新しい時代への好奇心を持ち合わせた方だったのでしょう。その当時の歯科治療は、
①歯石を取り、ヨードチンキで消毒する。
②痛いむし歯にクレオソート(正露丸にも含まれている成分)を塗布、ゴムで封鎖。
③歯を抜く(麻酔をするときは全身麻酔)。
などでした。
それまでの日本は、医師が口を診るか、江戸時代から続く「入れ歯師(木を削って入れ歯を作る職人)」や、大道芸人が歯を抜くような時代でした。それを「専門的な医学」へと高めたのが小幡氏の功績です。
◆ 今につながる2つのルーツ
免許を取得した直後の明治8年夏、東京の京橋(現在の銀座5丁目あたり)に日本初の近代歯科医院を開設しました。当時のアメリカ製の治療椅子は日本人の体格に合わなかったため、彼は日本人の体型にジャストフィットする「小幡式治療椅子」(注1)を自ら開発・設計しました。
また小幡氏は自分の技術を独占せず、多くの弟子を育てました。さらに、後進の歯科医師たち(伊澤道盛や高山紀齋など)と共に「歯科医会」を設立。これが後の「大日本歯科医会( 現在の日本歯科医師会)」へ発展していき、日本の歯科界全体の組織化に大きく貢献しました。
また、梓書院から「マンガ 西洋歯科医の始祖 小幡英之助」が2011年に出版されています。
福澤諭吉氏をはじめ、明治の文明開化を支えた人材を輩出した大分県中津市による郷里の偉人に対する顕彰事業の一環としての出版物です。
小幡氏は生前、簑浦勝人(みのうらかつんど・新聞記者・実業家・政治家)のインタビューに対しこんな言葉を残しています。
「日本人は歯の掃除が行き届かなく、歯疳(しかん)=歯石を貯め、加齢とともに多くの歯が抜けて顎堤・歯茎も吸収して総入れ歯で苦労する」(*)(家庭叢談「歯の掃除怠るべからずのこと」簑浦勝人著)
*現代語訳したものを掲載しています。(編集)
【参考文献】
・小幡英之助の受験書類について(日本歯科医史学会会誌 通巻105号)
・マンガ西洋歯科医の始祖
小幡英之助(漫画 常盛千恵 修大分県中津市 出版 梓書院)
・見て楽しい歯的博物館 (わかば出版)
・東京歯科大学 大学のたから heritage
・最初の歯科医師国家試験(長崎県歯科医師会)・医政百年史(厚生省)



