【連載】退き際の思考/「虚しくなった」― 診療スタイル貫き見えたもの(三好 眞知子さん【前編】)


【連載】退き際の思考/「虚しくなった」― 診療スタイル貫き見えたもの(三好 眞知子さん【前編】)

三好 眞知子さん(みよし歯科) ー前編ー

歯科医師としての“引退”に着目した本企画。すでに歯科医療の第一線を退いた先生にお話を伺い、引退を決意した理由や医院承継、閉院の苦労などを深堀りする。今回は今春、半世紀におよぶ歯科医師人生を終えた三好眞知子先生(75歳)の前編。突如訪れた心身の変化や、自身の診療スタイルの将来を想像し、引退の二文字が頭に浮かんだと明かす―。

― 歯科医師を目指した理由から教えてください。

母から「仕事を持ち自分の力で生きていきなさい」と育てられたことがきっかけです。母自身は専業主婦で、父任せの人生をどこか歯痒く思っていたのかも知れません。その思いが私の中に自然と刷り込まれていたのだと思います。その後、高校卒業前後は大学紛争の影響で受験制度も大混乱でしたが、最終的に東京医科歯科大学(現・東京科学大学)に進学しました。受験前日にお茶の水のキャンパスを訪れた時の雰囲気がとても魅力的で、両親の反対を押し切って上京しました。

― そこから歯科医師になり、半世紀を経て歯科医師の引退を決めたきっかけは。

2024年のとある日に突然、それまで当たり前だったのに、気力に体力がついてこなくなりました。それまで自然にできていた集中力や体力の維持のために、自分を奮い立たせなければならなくなったのです。それまで、諸先輩のように80歳くらいまでは診療を続けるだろうとイメージしていました。自然治癒が期待できない保存補綴で、自身の治療の長期経過を追えるのは歯科医師の醍醐味です。ただ、私には「10年スパンで患者さまの口腔管理をしたい」という思いがあり、70歳を過ぎたあたりで10年先がギリギリで、20年先は無理だと気付き、葛藤すると同時に虚しくなりました。また、数年来続く医療DXについても、便利になった反面、たくさんの案件をスピーディーに処理しなければならなくなったと感じています。診療報酬や施設基準も毎年のように変わり年々複雑になり、事務作業が増える一方です。「もっと診療に集中したい、診療に力を注ぎたい」という思いが大きくなり、実態とのギャップを感じていました。

「同じ治療をしてくださるかは…」ありのままを患者さんへ

― 歯科医師である息子さんではなく、別の先生に診療所を託すそうですね。

息子は、自分の診療スタイルを築きたいという思いから別の場所で開業しました。そのため、診療所は新しい先生に引き継いでいただく形になりました。数名の候補の先生とお話ししましたが、最終的には長く診療を続けられる息子の先輩の若い先生にお願いしました。一緒に診療したことはありませんが、お話しする中で誠実な人柄が伝わってきて、安心して任せられると思いました。患者さまには正直に「私と同じような治療かどうかはわからない」と伝えました。しかし、かねてから「100人歯科医師がいれば100通りの治療がある」とお話ししてきたので、「真面目で信頼できる先生です」と自信を持ってお伝えしました。

― 閉院する上で苦労したことは?

診療を続けながらの閉院準備には苦労しました。設備の撤去やカルテ・模型の整理など膨大な作業がありました。患者さんに伝えると「なぜ辞めるの?」と質問が続き、診療にならないほどでした。そこで、「設備の老朽化に伴い全面改装を行い、新しい先生が診療を始めます」と、段階的にご説明するようにしました。加えて閉院中には、信頼のおける近所の診療所や地図が載った案内を患者さんに手渡し、従来の番号でメールと電話がいつでも私に届くようにしました。また、スタッフについてはコロナ禍以降、常勤の補充を控えていたこともあり、大きな混乱はありませんでした。最後まで勤務してくれたスタッフが、閉院後の片付けまで手伝ってくれたことには本当に感謝しています。

― 歯科医師人生を振り返っていかがですか。

勤務医時代も含めると、約半世紀にわたり歯科医療に従事し、長い患者さんでは40年以上、私のやり方に賛同していただき、毎月クリーニングに通ってくださった方も多くおられたことは何よりの財産です。とある日、母の血圧が不安定になり、別の病院を受診するよう勧めた時に母が言った言葉が記憶に残っています。「信頼する先生に従った結果、私の寿命が縮まったとしても本望だ」―と。普通なら生き延びるための最善策を探ると思いますが、“究極の信頼”だと感じました。歯科医師は命に関わるようなケースは少ないですが、私も少しは患者さまに信頼してもらえたかな、そんな思いを巡らせています。

―ありがとうございました。考えさせられる一言だと思います。
※後編では引退後の展望などを伺う予定。