風のいざない 第22話  「ラブレター」     五島朋幸(新宿区)

青木次子さんは98歳。娘の智子さんとふたり暮らし。訪問するといつも笑顔で、

「先生、待ってたわよ。先生は若くて背が高くてハンサムねぇ。先生の顔みると痛いのなんか忘れちゃう」

これで娘さんと大爆笑の診療スタート。ある時、入れ歯を入れていると、下の歯茎が痛いということで連絡が入った。さっそく訪問してみると、いつも通りのフレーズ。智子さんはちょっと困った顔をして、

「お母さん、痛いと言ってたじゃないの。忙しい先生に来てもらったのに!」

「私は痛いなんて言ってないよ。ねぇ、先生」

「えぇ!うそ!痛いって言ってたじゃない!」

「そんなこと言ってないもん!」

駄々っ子のような返答に一同大笑い。

青木さんの診療が終わり、訪問診療を休止して半年ほどたった頃、智子さんから連絡が入った。またどこか調子が悪いところが出たのかなと思い、次子さんの笑顔を思いながら気軽に受話器をとった。するといつになく暗い声の智子さん。

「先生、本当にお世話になりました。実は母は先月、心臓まひで亡くなりました。本当にあっという間の出来事だったんです。でも苦しまず、笑いながら逝きました」

心の準備もなく、僕は相槌すら打てなかった。智子さんは、

「先生もお忙しいと思いますが、お時間あるときにもう1度、家に来てくださいませんか」

と言われたので「ぜひ、うかがいます」とだけ伝えた。

翌日の訪問診療前に、青木さんのお宅をお邪魔した。いつもの笑顔が待っていないというだけで寂しくなってきた。ドアベルを鳴らすと智子さんが出てこられ、

「お呼び立てして申し訳ありませんでしたねぇ」

と言って中に通された。いつも次子さんが座っておられた部屋には仏壇が入り、お花がいっぱい添えてあった。中央には笑顔の、いや、大爆笑中の次子さんの写真。僕の顔は自然と笑顔になっていくのに、涙が少しこみ上げてきてしまった。手を合わせると智子さんが、

「数えで99歳、母は天寿を全うしました。本当に見習いたい死に方でした」

大きくうなずいた。ただ、声を出すと涙声になってしまうのではないかと思い、声は出さなかった。

「先生、実は見てもらいたいものがあるんです」

と言うと、智子さんは隣の部屋に行ってしまった。その時の顔がちょっといたずらっぽい顔だったのは気のせいか、と思った。

戻ってきた智子さんが持っていたのは大きめの半紙。

「これ、母が亡くなった後、デイサービスの人が持って来てくれたんですよ」

と言うと、その半紙を開いて僕に見せてくれた。そこには決して上手とは言えないが、黒々とした墨でこう書いてあった。

「大好きな歯医者さん。若くて背が高くてハンサムボーイ 次子」

ふたりで大爆笑。でも、あふれ出る涙を止める方法はなかった。