風のいざない 第7話 「演技派?」      五島朋幸(新宿区)

初診の澤田キミ子さん。息子さんご家族と同居されている。ケアマネージャーからキミ子さんは認知症で口を開けてくれず、ケアをしようとすると噛みついたりするので大変だけれど、ぜひ、口腔ケアをやってほしいと依頼があった。

「さあ、頑張るぞ!」

と威勢よくいきたいところだが、自然とため息が。

澤田さんのお宅に到着し、ドアベルを押すと、明るい声でお嫁さんの美佐子さんが出迎えてくれた。嫌な緊張感から少し解放される。

「こんにちは、訪問歯科です」

「こちらこそお世話になります」

と普通に話をしていたのだが、突然、美佐子さんが小声になり、

「すいません、今日もちょっと機嫌が悪いみたいで…」

と困った顔をした。もちろんここまで来て引き下がることはできない。笑顔で、

「大丈夫ですよ、僕は」

と笑顔を見せて玄関に入った。不安は最高潮。

お部屋に入ると、ベッドの上で小さく丸まったキミ子さん。僕はキミ子さんの肩にそっと手を置き、

「こんにちは、澤田さん。はじめまして。歯医者です」

と、満面の笑顔を見せたが、キミ子さんは目も開けず、微動だにしない。

仕方なく、意思疎通もないまま口腔ケアに移ることにした。最初は頬のマッサージと思い、両手でキミ子さんの頬を触ったとたん、「ワウッ」という激しく大きなうなり声。あまりの声に一瞬ドキッとした。

「澤田さん、ちょっとお口をあけてみてくださいね」

と、声をかけながら指で唇を開け、少し中を見てみると、多少の欠損はあるものの残存歯は多かった。いや、縁上歯石も歯列に参加している感じもした。改めて懐中電灯を当てて観察しようとすると再びうなり声をあげ、顔を胸元に埋めるように丸まってしまった。後ろで見ていた美佐子さんも申し訳なさそうな顔をしてこちらを見ている。

僕はバッグからプラスチック製の指サックを取り出し、左手の人差し指にはめ、右手に歯ブラシを持った。ベッドの頭のほうに立ち、丸まっているキミ子さんの頭を少し上に向かせるようにすると、歯ブラシをキミ子さんの右側の頬にそっと挿入した。すると、これまで単発に叫んでいたのだが、今度は「アァ~」と大きな声を発した。その瞬間、左手の指サックをキミ子さんの左側臼歯部に挿入。左手の人差し指は臼歯部に、残りの指は大きく広げて顔が動かないように固定し、ブラッシングを開始。途中、少し抵抗されることもあったが、基本的にはスムーズにケアは終了。

美佐子さんにはケアを継続的に行うこと、ご家族にできるような方法も考えていくこと、そしていずれ歯石も除去することを伝えて終了。次回のアポイントをとるため、美佐子さんが手帳を取りに奥の部屋に行かれた。残された僕は、目を閉じて再び丸まっているキミ子さんに、「お疲れ様でした。今日は終わりですよ。大変でしたね」

と声をかけると、キミ子さんの目がゆっくりと開き、まぶしい表情でこちらを凝視している。

「わかっていたんですね。意地悪だなぁ」

と声をかけると、再び目を閉じ丸まってしまった。