【連載】退き際の思考/「虚しくなった」― 診療スタイル貫き見えたもの(三好 眞知子さん【後編】)


【連載】退き際の思考/「虚しくなった」― 診療スタイル貫き見えたもの(三好 眞知子さん【後編】)

三好 眞知子さん(みよし歯科) ー後編ー

歯科医師としての“引退”に着目した本企画。すでに歯科医療の第一線を退いた先生にお話を伺い、引退を決意した理由や医院承継、閉院の苦労などを深堀りする。今回は今春、半世紀におよぶ歯科医師人生を終えた三好眞知子先生(75歳)の後編。突如訪れた心身の変化や、自身の診療スタイルの将来を想像し、引退の二文字が頭に浮かんだと明かす―。

― 引退後の生活はどのように考えていますか。
診療第一でやってきて家族や家のことは二の次だったので、これからは家を整理して、落ち着いて暮らせる環境を整えていきます。やりたいことはやり尽くしたので、特にありません。今は仕事のために後回しにしてきたことを、ひとつひとつ丁寧にやっていきたいという気持ちです。ゴールデンレトリーバーの兄弟が2頭いて毎日とてもにぎやかで、愛犬たちともっとゆっくり過ごしたいですね。

― 現役を離れて数カ月経過していますが、今の歯科医療界をどのようにご覧になっていますか。
患者さんとの距離はずいぶん近くなったと思います。50年前は「先生」という立場が強く、上から目線の歯科医師もいましたが、昔に比べ今は患者さんも話しやすくなりました。それはとても良い変化です。また、患者さんは多くの情報を持って受診されます。以前のように一から説明しなくても理解していただける場面が増え、説明はしやすくなりました。一方で診療報酬改定やオンライン資格確認など、治療以外に対応しなければならないことがどんどん増えています。本来一番大切なのは治療ですから、その両立は本当に大変だと思います。現役の先生方には「頑張ってください」と伝えたいですね。

「協会がなかったら…」
― 協会に入会したきっかけは。

開業後に保険診療の点数について悩んでいた時に、案内をいただき説明会に参加しました。非常に分かりやすく、「これは頼りになる」と感じて入会しました。当時は女性院長が今より少なく、女性ゆえに苦労する場面が多かったのですが、診療を続ける中でさまざまな相談にも親身に対応していただきました。患者さまや従業員との問題でも、紹介してもらった弁護士にフォローしていただき、協会の事務所が診療所からとても近かったことも私にとっては心強い存在でした。

― 約30年前に入会され、長く会員でいらっしゃいました。
みよし歯科、もっと言うと私の歯科医師人生は、協会がなかったら違うものになっていたと思います。それくらいお世話になりました。診療報酬改定への対応はもちろんですが、医療制度改正を見据えた講習会やセミナーを早い段階で開催してくださるので、「次はこういう流れになるのだな」と先を見ながら準備することができました。最近はオンライン開催も増えて参加しやすくなりましたし、内容も充実していると思います。何よりも親身になっていただいたのがありがたく、嬉しかったです。

― それでは今後の目標を教えてください。
まだ引退したばかりで、「ほっとした」という気持ちが一番大きいですね。診療所の片付けも残っていますし、まずはそこからです。これまで50年以上、責任を背負ってきました。これからは肩の力を抜いて、自分のための人生を気ままに過ごしてもいいのではないかと思っています。

― 最後に、引退を考えている先生方へメッセージをお願いします。
歯科診療が人生のどれくらいの割合を占めているかは、人それぞれだと思います。ただ、体力や気力にはいつか必ず限界がきます。もし診療よりも「やり残したこと」が心にあるなら、それを天秤にかけて考えてみるのも一つの選択ではないでしょうか。引退を考える時期というのは、人生を振り返る時期でもあります。今、自分が本当にやりたいのは何なのかを見つめ直して、その先の限りある人生を選んでいけば良いと思います。私は「やり切りました」と言えます。“exhausted”、完全燃焼でした。

―ありがとうございました。

編集後記
JR 高田馬場駅戸山口から徒歩5分、東京歯科保険医協会の事務所ビルを越えると、都心の喧騒から様変わりし、戸山公園の緑が広がる。その一角に開業して約35年。おおむね10年おきに医院の内装を一新した。工期中は、今までの医院の装いが失われることにひどく寂しさを覚えていた―という。そして、ついに訪れた閉院の時。外装、内装はもちろんのこと、道を歩けば目に入る「みよし歯科」の看板と広告は消え、新たな医院へと生まれ変わった。ところが、あの時と同じ名残惜しさは全くなかった。「やり切った」―半世紀の歯科医師人生を終えた晴れやかな表情が新緑によく映えた。