第11回 なぜ、 歯科を給付しない国が多いか?

【歯科疾患は罹患者数が多く社会の損失も大きい】

2019年に、国際的な影響力のある医学雑誌「ランセット」が口腔保健の特集を掲載しました。その際、「歯科疾患は罹患者数が多く、社会の損失も大きいのに、各国政府は無視してきた」と指摘しました。これは、「公的医療システムでの歯科給付が必要だ」との訴えです。

では、なぜ歯科を給付しない国が多かったのでしょうか。

◆「治す医療」が給付対象

ヨーロッパを見ると、日本と似た構造を持つドイツなどは成人にも歯科給付がなされますが、租税を財源に公営医療を運営するイギリスや北欧諸国の歯科給付は原則、未成年まで。南欧諸国では、それすらも一般的ではありません。

近年では、歯周病や根尖病巣などの歯科疾患が、他の臓器にも影響することが知られるようになりました。このことは、医療制度の中に歯科給付を位置付けていく方向性にあると見られますが、長らく、「歯科治療はぜいたく品であり、公的給付になじまない」という考え方があったのは事実のようです。

そのため、成人の歯冠修復は公的給付の対象外で、給付対象となる未成年でも、ステンレススチールの乳歯冠などが一般的だったなど、徹底的にコストカットが図られてきました。これらは、かなりの富裕国でも見られる傾向のため、財政難が理由ではなさそうです。

1つ考えられるのは、公的医療システムが「治すための医療」を給付するように設計されてきたのに対し、歯科医療が、必ずしも「治す」ことだけに留まらない性質を持っていたことが挙げられます。

最初に公的医療システムが整備された1920年代、医療技術はまだまだ未発達な状態で、日本を含め、怪我や病気になった場合の所得補償(傷病手当)が、保険給付の主軸に据えられました。

その後、1940年代以降に公営医療が整備された頃には、医療技術の発達により、病院や保健所などでの傷病治療への給付ができるようになります。

こうして「治す医療」の発展と同時に、医療保険制度が整備されてきましたが、歯科は、必ずしも「治す」ことをゴールにしておらず、病院や保健所でのサービス提供にもなじまなかったといえます。

◆「補綴を含めてこそ」という主張

歯科医療従事者の中にも「欠損補綴や歯冠修復は修理(直す)であって、治療(治す)ではない」と考える人が少なくありません。矯正の対象となる歯列異常も、医学的な定義はまちまちで、医療現場ですら「正常でないから異常だ」という循環論法がまかり通っています。 さらには、「最終補綴」といった用語に見られるように、何かの完成品をセットすることをゴールと考える向きもあり、術後管理、経過観察といった、「治す医療」で一般的なあり方とは一定の距離があったのも事実でしょう。

そのため、公的医療システムに、歯科をフルカバーで入れる国が少なかったのではないかと考えられます。

翻って、日本で成人の欠損補綴も含めた給付が行われてきた背景には、保険制度発足当初から、歯科医師会などからの「補綴を含めてこその歯科医療」との主張が強かった点が挙げられます。

現在、諸外国で拡充が検討されているのは、欠損補綴よりも歯科検診や口腔ケアなどの予防管理、歯周疾患や根尖病巣などの慢性炎症対策が主軸になっているようです。

 

【略 歴】水谷惟紗久(みずたに・いさく): 株式会社日本歯科新聞社『アポロニア21 』編集長。1969年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。慶応義塾大学大学院修了(文学修士)。早大大学院修了(社会科学修士)。社団法人北里研究所研究員(医史学研究部)を経て、1999 年より現職。著書に「18世紀イギリスのデンティスト」(日本歯科新聞社、2010年)など。2017年大阪歯科大学客員教授。2018年末、下咽頭がんにより声を失う。