第6回 感染症が18世紀の歯科を発展させた

◆「隔離」は医療の原点なのか?

新型コロナウイルス肺炎の広がりが連日報道され、街を行き交う人の多くがマスクを着用しています。2019年2月15、16日開催の中部デンタルショーでも、出展関係者全員へのマスク着用の指示があったということです。

18世紀までヨーロッパにおける病院の役割の中心は、「治療」ではなく感染症や精神疾患の患者、貧困者の「隔離」にあったと聞いて、「今ほど肌感覚で理解できることはないかもしれない」と感じました。

現在の中国・武漢市で、短期間に隔離用の病院を作ったことが話題になっていますが、これは、伝統的な病院の役割に即したものとも言えます。

◆島国の日本特有の感染症観

ややもすると、島国の日本は「伝染病は外から来るもの」という意識が強く、いまだに「武漢に立ち寄った人がハイリスク」という前提の水際作戦を重視していますが、二次感染以降の国内感染が確認されている現在、対応のフェイズが変わりました。むしろ、「あらゆる人から感染源が持ち込まれる」という前提での感染経路の遮断が必要です。 

特に、日本の歯科医療現場では、目を覆うゴーグルの普及が思うように進んでいませんが、歯科医療はさまざまなエアロゾル手技を伴いますから、今後、目の粘膜保護が重視されていくと考えられます。

一方で、アメリカでインフルエンザが猛威をふるっているのに、日本ではインフルエンザの感染者が、今年に入って少ないのは、「新型肺炎ショック」によって人々の衛生意識が高まったからではないか、とも言えそうです。

「病気は外国から」、という風潮は、18世紀のイギリスでも顕著に見られました。当時、梅毒がイギリスとフランスという長く敵対してきた両国で大流行。すでに、一種の「花柳病」というイメージが強くありましたが、イギリスでは「フランス病」(フランス人からうつされた)、フランスでは「イギリス病」(イギリス人が持ち込んだ)という、まさに被害者意識丸出しのネーミングで呼び合っていました。

◆梅毒の広がりで欠損補綴が発展した

イギリス、特にロンドンで大流行したのは、「梅毒になると、ペストにならない」という俗説を信じ込んだ紳士らが、梅毒をうつしてもらおうとして、売春宿に殺到したためともいわれています。

梅毒は、重症化すると鼻などが破壊されてしまいますから、同時代の両国の義歯の画像を見ると、鼻や唇に補綴をしたり、口蓋を塞ぐ装置などがセットされている大がかりなものが珍しくありません。

当時の欠損補綴症例は、むし歯や歯周病によるものだけでなく、梅毒由来のものも少なくなかったと思われます。

こうして、大規模な欠損に対応した高度な補綴技術が発展した、とも言えそうですが、これらは「見た目を整えるもの」に過ぎず、咀嚼をサポートする機能は期待されていなかったようです。

今回の感染症騒ぎは、さまざまな面で近代医療の出発点を顧みる機会になっていると感じます。

 

【略 歴】水谷惟紗久(みずたに・いさく): 株式会社日本歯科新聞社『アポロニア21 』編集長。1969年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。慶応義塾大学大学院修了(文学修士)。早大大学院修了(社会科学修士)。社団法人北里研究所研究員(医史学研究部)を経て、1999 年より現職。著書に「18世紀イギリスのデンティスト」(日本歯科新聞社、2010年)など。2017年大阪歯科大学客員教授。2018年末、下咽頭がんにより声を失う。